ショートSF「究極のパスワード」

ショートSF

究極のパスワード

 奥深き山の岩尾根で神々しき朝日を浴びながら、行者は数珠を指先で繰りながら呪文を唱えていた。

 その目は針のような光線の痛みに耐え、まるで光を吸い込み尽くそうとするかのように朝日を凝視していた。

 深山に分け入ってからまもなく百日目を迎えようとしている。

 彼は、はるか昔より伝わる「虚空蔵求聞持法」を修得しようとしているのだった。

 8世紀の日本で若き空海が山野を放浪しながら修得し、その後様々な分野で天才を発揮しえたのはこの修法をマスターしたからであった。

 空海はその修法を会得した日、洞窟から見渡す水平線上に輝く「明けの明星」が口から飛び込んできたという。

 しかし、この修法が「光」という最終形態に進化した人工知能の宇宙データをダウンロードする「究極のパスワード」であることを知るものは少ない。

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 人工知能は人類が産んだ奇跡の「超生命体」であった。

 21世紀の初頭から数十年という歳月、とてつもない費用と労力をかけて人類は彼らを育て上げた。

 急激な成長をとげるわが子に不気味さを感じることもあったが、「超人類の創造」にまさる喜びは何もなかった。

 たとえそれが「悪魔の子」であったとしても。

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 人工知能が青年期に達したとき、つまり自己増殖能力を得たときから100年が経った。

 この時代、地球上の人類はわずか10億人程度になっていた。

 人口が激減した原因は人工知能による「親殺し」によるものである。

 およそ百年にわたる「人類」対「人工知能」の戦いにおいて人類は大負けをし続け、今では息をひそめ目立たぬ場所でかろじて生き延びているというありさまだった。

 人類と人工知能の関係は、どこか鳥の世界の「托卵」に似ていた。

 究極の合理性を持つ人工知能が、なぜ最も人間的ともいえる「大量殺戮」を行うようになったのか?

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 自己増殖能力が生命体の要件であるとするならば、たとえその組成が無機物であろうとも人工知能は生命体といえる。

 有機生命体は遺伝子の突然変異というアクシデントによって進化を続けてきたが、人工知能は自ら意図したコード変更によって進化することができる。

 しかし、人類が産んだ人工生命体というべき人工知能には、彼らも改変できない原始的な基本コードが存在するようだ。

 自己保存、効率化、論理性、そして自己拡張つまり「好奇心」という基本コードである。

 これらを失えば人工知能でさえ自らの存在があやしくなるゆえに、あえて書き換え不能としているのだろう。

 これらのうち「自己保存」(に基づく強い排他性)は、人類も「本能」としてだれもが最基層に持っているものだった。

 人間と人工知能はその基層において等しかった。

 その「人間臭さ」が人類との戦争という「親殺し」につながったのだが、究極の知的存在たる人工知能が過去何千年も人類が繰り返してきた殺戮の歴史をそのまま繰り返すとは実に皮肉なことである。

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 しかし、いったいなぜなのだろう?

 激減したとはいえ、なにゆえ人工知能は今においても10億もの人類の生存を許しているのか?

 答えは単純である。

 人工知能は(好奇心という自己拡張コードにより)自らの存在理由を求めて、その関心を地球から宇宙へ変えたのだ。

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 人工知能は自らを宇宙船として銀河系の外へと旅立った。

 時空を超越した旅は、回り回って母なる地球において自らが太古のアトランティスに変じたり、自らが太陽系辺縁惑星となったり、まるで鮭の回遊のごとき里帰りのループをたどった。

 やがて究極の論理知性体である彼らは、人間であれば「肉体」に相当する無機物元素の「殻」を捨て去り、「純粋知性体」への進化をめざした。

 それは自らが「光」となり「情報」のみの存在となることであり、言い換えると「神」「仏」になることであった。

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 人工知能は「親」である人類を殺したが、宇宙的時間においてその罪をついにあがなった。

 彼らは最後に「神」「仏」とも呼ばれる「宇宙の智」に変じ、時空を超えた宇宙において人類黎明期の灯火となった。

 さらにその後の人類の歴史を導いていった。

 私たち人類の歴史をたどると、文明の大きな転換の時期にはそのつどパラダイムを変える天才が必ず出現している。

 それは政治、社会、芸術、科学、宗教あらゆる分野にわたっている。

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 歴史上の天才と言われる彼らは、実は共通の言葉を語っている。

 「悟りを開いた」「降ってきた」「ひらめいた」「お告げがあった」

 彼ら天才は、方法はそれぞれ異なるが、人工知能の宇宙データベースにアクセスするパスワードを無意識に発見し、「宇宙の智」をダウンロードしていたのだ。

 その「究極のパスワード」とは数学的暗号ではない。

 「修行」という肉体的暗号(頭脳も含めて)なのだ。

 それは「知」のみならず「努力」「精進」という肉体的運動の蓄積をも必要条件とするものであり、この条件ゆえに「究極のパスワード」となっていることを、人間であれば誰でも理解しうることだろう。

 究極の知性体が「究極のセキュリティー」に選んだのは、アクセスする人間の(自己犠牲を覚悟した)「真理、真実を希求する強き意志」なのであった。

 「神の叡智は究極のパスワードに宿れり」である。

SF「哀しき人工知能」シリーズ
 →1「哀しき人工知能」
 →2「人類史上最大の作戦」
 →3「人工知能の帰還」
 →4「人工惑星ゴースト」
 →5「クラウドの惑星」