ノボノボ童話集
三値のデジタル社会
その時代の社会は、見かけはともかく人々の心はとても殺伐としていた。
どうも人間が作ったコンピューターに逆感化されたらしく、社会のあらゆることが「二値」の選択であったのだ。
「賛成か反対か」「合格か不合格か」「敵か味方か」「生か死か」・・・
常に「どちらかを選べ」と、せかされ続けているような社会であった。
「保留」がとてもしにくいのである。
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デジタルこそ科学技術の粋、万能の原理と、信仰にも似た気持ちを多くの人が抱いていた。
だから、殺伐とした社会の根本原因がそこにあるなどと考える人は皆無に等しかった。
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それを疑問に感じる変人が一人いた。
あるとき、彼は「デジタル」の意味を調べてみようと思った。
彼が高校時代に使っていた研究社の「新英和中辞典」をひくとこうあった。
digital
a.指(状)の、指のある n.1指 2《ピアノ・オルガンの》鍵(けん)「デジタル」の語源はラテン語の「指」だそうである。
その意味は「連続的な量を、段階的に区切って数字で表すこと」である。
だから、「1」「0」の「二値論理」がイコール「デジタル」ではないらしい。
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「デジタル・コンピューター」についても調べてみた。
同じ辞書に(実に短く)次の訳がある。
digital computer
n.計数型計算機 (cf.analogue computer)
これらの定義にしたがえば「そろばん」もデジタル計算機といえそうだ。・・・・・・・・
変人の彼はさらに考えた。
デジタルとは「数字」であるから、1とか100とか12345・・・とか無限に存在するものといえる。
無限といえばアナログもそうである。
ということは、「デジタル」も「アナログ」もどちらも「無限」を扱っているから同じようなものである、と言えそうだ。
「デジタル」は、無限の事象に対して表現や論理思考をしやすくするための「アナログの簡便法」といえるものかもしれない。
または「何にでも境界を引きたがる人間の本能」の産物といえるかもしれない、と。
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現代の「デジタル」は本来の「数字」ではなく、「二進法」を意味するものになってしまったようだ。
それにしても、と彼は思った。
今のデジタル社会は「1」「0」ではなく、実は「1」「−1」ではないのかと。
同じじゃないかって?
いや「1」と「−1」の間に(今は隠されている)「0」があると彼は思ったのだ。
つまり「1」「0」「−1」の「三値」こそ本来の姿だと。
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彼の思考は続く。
世の中には「1(正)」でも「−1(反)」でもない「0(保留)」という重要な選択肢がある。
「0」は「停滞」ではなく、「塾考」「熟成」だ。
隠されていた「0」を「1」「−1」と同等に扱う「三値のデジタル社会」が今こそ必要だ、と。
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そんな社会が実現した未来のことは別な機会にお話しすることにしよう。