骨寺村の秘密

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(ハーンの隠された旅)
 ラフカディオ・ハーンは、その生涯にたった一度だけ東北に来たことがある。寒さが苦手な彼だったが、雪が降るにはまだ早い今から120年前の1900年10月、ある重要な秘密を調べるために、開通したばかりの東北本線の列車に乗り彼は岩手に向かった。その旅は妻節子にも秘密だった。

 ハーンはこのとき50歳、亡くなる4年前のことだった。彼の東北行の目的は何であったのか?それは岩手県一関市にある骨寺村という不思議な名前の地に隠されていた。

 

(骨寺村との出会い)
 私がそれを知ったのは今年(2019年)10月下旬のことだ。岩手県一関市厳美町での仕事がお昼までに終わったので、まだ訪れたことのない場所に行ってみたいと思い、車を山間部に向けた。年に一度の晴れ衣装、山々の紅葉も眺めてみたかった。

 その途中に現れたのが「骨寺村荘園交流館」という奇妙な名前の施設であった。民家もなく車もほとんど通らない山麓の道路沿い、突然その施設の看板が現れた。食堂もあるらしい。遅い昼食をとろうと私は立ち寄ることにした。施設に置かれたパンフレットにはこう記されていた。

<骨寺村は岩手県南部一関市の山間部にある。奥州藤原氏全盛の頃に始まる荘園の遺跡であり、古文書や古絵図が今日まで保管されていた。平成17年3月、岩手県一関市厳美町字若神子地区が古絵図に描かれた場所として特定され、国指定遺跡となった>

 

(語り部の話)
 資料館、売店、食堂を備えたけっこう大きい施設だ。しかし、この時いたのは数名の職員と私だけであった。資料館で語り部をしていた初老の男性は暇をもてあましていた。そのせいか私に詳しい説明をしてくれる。ついには未公開の秘蔵資料を私に特別見せてくれるという。

 資料館に隣接した倉庫、そこは職員以外立ち入り禁止であったのだが、そこに案内された私は語り部の男性からある日記を見せてもらった。それは明治時代この村の大地主であった方のものらしい。驚くことに、そこには1900年の秋、ラフカディオ・ハーンとおぼしき人物がこの村を訪れたことが詳細に書かれていた。

<地主の日記より 要約>
 「この村には骨寺という古いお寺がある。以前より寺の付近で奇妙な出土品が見つかることがあり一部の考古学者が関心を持っていた。この日午後2時頃、一人の外国人が人力車に乗ってわが屋敷を訪ねてきた。

 彼は身の丈五尺ほどで顔は銅色、少し猫背で左目を失明しており灰色の背広に細き黒いネクタイを締めていた。とてもせっかちだったが、何か強い力が彼の身体から満ちあふれているように感じた。みやげに饅頭を持参してきた。

 差し出された名刺には『東京帝国大学文学部英文科 講師ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)』とありびっくりした。彼は手帳を手にしながら、たどたどしい日本語でいろいろなことを私に訊いた。

 最後にとても真剣な顔つきと手振りで、「青紫の球体」がこの周辺から見つからなかったかと訊いてきた。その大きさは鶏の卵ほどのようである。実は似たような出土品が幾つかあったことを思い出したので彼に話した。彼は大変興奮した様子で現物の保管場所を訊いたが、私にはわからなかった。およそ1時間ぐらい後、彼は待たせておいた人力車で帰った」

 語り部は筆で書かれた日記をめくりながら、「実はこの時の来訪者が本当にラフカディオ・ハーンであったかどうか真偽がはっきりしないのです。ですからこの資料は非公開となっています。もし本当だとしたら、彼がなぜ訪れたのか大変興味深いことでありますが。。。」と、なかば独り言のように語った。

 

(骨寺村の由来)
 さて、骨寺村の歴史とは次のようなものである。

<時は12世紀。平安浄土の国づくりを理想にかかげた藤原清衡は、自らの発願による『紺紙金銀字交書一切経』の完成に功のあった自在房蓮光を、そのお経を納める中尊寺経蔵の初代別当に任命した。

 そこで蓮光は私領であった骨寺村を経蔵に寄進し、経蔵の維持のための費用をまかなう土地(荘園)として、あらためてそれを清衡から認められた。これが中尊寺経蔵別当領骨寺村のはじまりである。

 これ以降、骨寺村は経蔵別当領となり、藤原氏滅亡後は、この地方の地頭となった葛西氏などと相論を繰り返しながら、鎌倉時代を経て、15世紀の室町時代まで伝領されていく。2枚の『陸奥国骨寺村絵図』は、その過程で作成されたと思われる>

 

(髑髏の伝説)
 私は語り部に骨寺村という奇妙な名前の由来について尋ねた。そこにはある伝説があった。なんと「髑髏伝説」という物々しいものだ。私は背筋に少し悪寒を感じながらも、その伝説に大いに興味を感じた。パンフレットにはこう書かれていた

<鎌倉時代の『撰集抄』という説話集に、平泉郡にいた一人の娘が、天井裏の髑髏から法華教の読み方を習い、その髑髏を逆芝山に葬ったという話がある。その髑髏は、比叡山の高僧第18代座主の慈恵大師良源の髑髏で、葬った場所が慈恵塚だと寺に伝えられている。このことが、骨寺村という名前の由来であるともいわれている>

 平安時代、空海上人が請来した真言密教に色を失った最澄率いる天台宗も、円仁、円珍という偉大な座主で盛り返し、さらにその後「元三(がんさん)大師」という名前でも有名な慈恵大師良源良源という霊験あらたかな座主を輩出した。彼には鬼の姿になって疫病神を追い払ったという伝説もある。その天台宗中興の祖良源の骨がこの寺に葬られているのだという。

 私は語り部の老人に「出土品はどこに保管されているのですか?」と訊いた。彼は「たしか岩手大学にある考古学研究室に保存されていると思います」と教えてくれた。ハーンが探していたという「青紫の球体」に不思議な縁を感じ始めていた私は、必ずやその球体をこの目で確かめようと決心した。

 

(青紫の球体)
 それから一ヶ月後、私は岩手大学を訪ねた。この大学出身で高校教師をしている同級生に紹介してもらったおかげで、学部の助教に資料保管室に案内してもらい丁寧な説明を受けることがことができた。

 そしてついに「骨寺村」の出土品と出会うことができた。その中には数個の「青紫の球体」もあった。なんと美しい!目をこらして見ると、内部にはとても微細な構造があるようだ。私は助教にお願いしてこの球体に触れさせてもらった。

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 そのときだ!一瞬にして、私の身体が変調をきたした。強いめまいと電磁パルスのような耳鳴り、、、思わず手を離したらすぐに収まったが、何やら不思議な力を感じた。一緒にいた助教にその旨話したら、だれもそのような経験をしたことはないという。彼によれば、この球体は権力者の装飾品か呪い(まじない)の道具とみなされているとのことだ。

 不思議なインスピレーションを感じた私は、思い切ってもう一度しっかりとつかんでみた。その時間はほんの数秒だったことだろう。。。しかしそのとき、私は一日の長さにも及ぶ実に不思議な「時空旅行」を経験したのだった。

 

(時空の渦)
 とてつもない速度で地球を飛び出していく私、やがて星々がすだれのような光線となり身体を突き抜けていく。そのうちに気絶してしまった。。。

 我に返ったとき私は骨寺村の上空を飛ぶ鳥になっていた。どうやら平安時代頃のような風景だ。大昔とはいえ今と変わらぬ懐かしき自然に囲まれた荘園の様子、そこに暮らすわれわれの先祖たちが現実世界で生きている。空を自由に飛び回りながら、私は「人間とは地面に縛りつけられ、なんと不自由な生活を強いられていることだろう」と感じずにはおられなかった。

 時間は超高速で流れていく。もう夕方の薄闇となった。寺付近の林や小川のほうに青白い燐光を放ちながらうごめくものが多数現れた。目をこらして見ると、なんとそれは、ろくろ首、一反もめん、のっぺらぼう、半人半獣などのいわゆる民話や怪談に登場する「物の怪」たちだった!

 この時代、こんなおどろおどろしい妖怪たちが人間や動物、植物たちと共生していたのだ。薄暗い中、目をこらして観察していた鳥の私を、突然妖怪たちが見つめ返した。その途端私はびっくりして制御を失い、地上に墜落した。。。

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 気づくと、私は資料保管室に立ったままであった。

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 助教は「どうされました?一瞬ふらっとされたようですが」と私を気遣う。私は何もなかったように「いいえ、大丈夫です」と答え、助教に丁寧に礼をして大学を後にした。すべては明らかになったのだ、、、山頂が白くなった山に沈む夕陽を感慨深く眺めながら私の心は思いがけず穏やかだった。

 

(王様の耳)
 しかし、帰宅した私は大いに悩むことになった。自分の知ったこの世の真実についてどうすべきか、、、公にしても誰も信じてくれないことだろう。変人の書いた妄想小説として一部の人には喜ばれるかも知れないがそれで終わりだろう。一生自分の心だけに留め置いたほうがよくはないか、、、

 そう考えたのにはもう一つ重大な理由があった。洋の東西を問わず、尊敬を得てきた有名な作家や学者、芸術家などが、実は私たちとは素性が異なる存在であることを暴くことになってしまうからだ。彼らは、もしかしたら迫害されるかも知れないのだ。。。

 しかし「王様の耳はロバの耳」とは人類の性(さが)、私もその例外ではなかった。一人で秘密を背負ったまま生きることはできなかった。私は開き直り、「SF小説」の体を装ってこの真実を公にすることを決めた。

 「青紫の球体」に触れた日から一年後、私は『骨寺村の秘密』という本を出版した。その衝撃的な真実をここで手短に伝えることにする。

 

(一か八かの移住)
 私が知った、私たちの生きる21世紀から数千年後の地球の様子である。

 とても思いがけないことであるが、地球は豊かな自然をまだ保っている。しかし人類は多様な種に並行進化している。生存環境もは地上のみならず海、土中、宇宙空間、月世界、火星など多様な場所に広がっている。地球・月宇宙空間には巨大な宇宙ステーションが無数に存在している。それぞれの場所に独自に進化を遂げた人類の各亜種がゆるい共存関係のもとで棲み分けをしている。

 共存とはいえ、人類の本性である闘争心は永久に健在である。この未来においても戦(いくさ)が絶えることはない。中にはアウトローと称される好戦的な種族もあった。この種族はアンドロイドと人間の合体種族の一部族であったが、昔風の言葉で言うならいわゆる不良、鼻つまみ者であった。連合軍は共存を維持するため彼らを徹底壊滅する方針を選んだ。

 ついにアウトロー種族と連合人種軍との大規模な戦争が勃発し、アウトローは太陽系から追われることになった。(反主流派というものは、いつの世にもアウトローという蔑称を付けられ迫害される運命である。私は東北人であるが、先祖は「蝦夷」と呼ばれ、戊辰戦争では「賊軍」と呼ばれた。そのせいかこのアウトローに同情を禁じ得ないところがある)

 しかしこの頃、アウトロー種族は時空間移動を可能にしていた。彼らは己の情報をすべて光子流に変換し、太陽系内に発見されたワームホールの時空バイパスを通って過去に行くテクノロジーを獲得していたのだ。

 とはいえこの超次元的なテクノロジーは入り口と違って出口の制御は困難であり、どの世界どの時代に出るかということについては一か八かであった。まるで新大陸をめざした大航海時代の帆船のごときであったのだ。

 それでも彼らは連合人種軍の迫害に耐えかね、追跡が極めて困難な過去世界に彼らの新天地を築こうとした。数十年に及ぶ大変な苦労の末に彼らの時空旅行はついに実行されたが、成功率はわずか数%にも満たないものだった。しかし、過去に一粒の種子でも運ぶことができさえすれば成功だと彼らは知っていた。一粒の麦は地に落ちてあまたの実を結ぶのである。

 

(未来からの種子)
 アウトローの時空移動は出たとこ勝負である。時空の渦の先に現れる時代や地域をあらかじめ予測したり計画したりすることはできなかった。それゆえほとんどのトラベラーは生存不可能な時代や場所、あるいは深宇宙に飛ばされ、生存(復元)可能な別世界に到着することができたのは本当に少数であった。

 しかし数パーセントのトラベラーは地球の様々な時代と地域に飛ぶことができた。彼らは未来の先祖(矛盾した言い方だがまさにこの通りなのだ)の記憶を保ちながら、新天地の開拓を始めた。仲間がいつのどこに飛んだのかは互いに知ることできなかった。

 私が知ったのは、少なくてもトラベラーの一部は平安時代後期の岩手県骨寺村に現れたということである。彼らのリーダーは髑髏伝説となって、当時の人々にとっては超能力と見えるような術を駆使し、自分たちの生存を図ったということだ。

 しかし、なぜラフカディオ・ハーンは彼らのことに興味を持ち、骨寺村を訪ねたのだろう?彼はトラベラーや未来の人類になにか関係していたのだろうか?私は彼のことを調べ始めた。

 私は例の「青紫の球体」に触れて以来、いわゆる霊感が身に宿ったらしい。ハーンの生涯やその著作について調べていくうちに、彼の思いがけない真実を理解した。ただし証拠があるわけではないので、憶測と言われてしょうがないものであろう。その憶測とは「ハーンは未来人である」ということだ。

 

(連合人種軍の追跡)
 過去世界の変更は多世界宇宙にも相応の影響が生ずる。未来の人種連合軍はそのような変化を恐れた。自分たちの優位がゆらぎそうな過去は抹殺する、それが彼らの合理的な結論だった。

 やがて人種連合軍も光子流時空移動のテクノロジーを得た。アウトローたちの旅から数百年の後、彼らは散弾のように数多くのハンターを過去世界へと撃ち込んだ。

 アウトロ-種族と同様、彼らハンターが到達する世界や時代はバラバラであり、しかも放たれた散弾の数パーセントしか人類の生存する地球の過去へは到達できなかった。

 実はハンターであった彼らこそ、人類の歴史に残る聖者や偉人、天才たちであったのだ。それは古代民族の伝説に残る神々、釈迦やキリスト、アルキメデス、ニュートン、アインシュタインなど枚挙にいとまがない。

 彼らは素性を隠すために伝説をつくりあげたり、秘密組織をつくったりしたのだった。しかし未来の彼らによって人類の歴史がバージョンアップしていたことは否めないことである。

 キリストも釈迦もその後継者達も、なにゆえに彼らは世界の終わりや末法の世界をまるで見てきたかのように話せたのであろうか?それは、そもそも彼らが未来から来た種族ゆえなのである。

 芸術も同じである。芸術家はなにゆえ己の生命を捧げて、その道を究めようとしたのか、それは時空を超えた言語であるからなのだ。古代のピラミッドも伽藍も土偶もすべてはその一表現である。

 釈迦、キリスト、空海、ソクラテス、ダビンチ、ピカソ、北斎、名もなきあまたの天才たち。。。

 世界とは過去から未来へと流れる一方通行ではなかった。未来と過去が交錯した輪廻転生、永劫回帰こそ、その実態であったのだ。

 

(妖怪の正体)

 ここで大事な話がある。ハンターが神や仏であったとするなら彼らより先に時空移動していたアウトロー種族は何になったのか?

 これこそが骨寺村と大いに関係することであった。実は、アウトローたちは過去の地球のあらゆる場所、あらゆる歴史で、妖怪、化け物、怪物と呼ばれる類いの生命体?であったのだ。

 トラベル後の身体再合成において、彼らがもともとサイボーグであったことが災いした。到達先の世界では調達不可能な構成素材が多かったのである。それゆえ彼らは間に合わせの素材を使い、自らの姿を再合成せざるを得なかった。それゆえ紫外線にも大変弱く、彼らは夜しか活動できなかった。人類と似ていて異なる姿となったのはこのような理由だったのだ。
 

(ハンターの改心)

 ハンターとして送られた者のうち、人類の原初的遺伝子が再活性化し、人類に溶けこんだ者がいる。彼らは科学者、考古学者、作家、画家などになり、アウトローたちを人類の一員として探り続けた。

 洋の東西において歴史的にも名だたる考古学者、伝奇作家、民俗学者、芸術家など、だれにでも名を知られている偉人たちがハンターであったとは実に驚くべきことであり、私はその真実を知ったとき大いに震えた。

 ラフカディオ・ハーンもその一人であったのだ。

 ところが、神、仏、超天才となった彼の仲間とは一線を画し、自らも人類になりきろうとしたハーンやその仲間たちの心には大きな変化が生じてきたのである。切なさ、哀しさ、愛おしさ、もののあはれ・・・未来世界で失われていた人類の感情はハーンたちにとって衝撃的だった。やがて彼らはアウトロー種族との和解をめざすようになったのである。

 

(球体の秘密) 

  さて、100年前ハーンが必死に探し求めた、そして私を超時空に運んだあの不思議な「青紫の球体」とはいったい何であるのだろうか?

 岩手で球体に触れて以来、私は未来の先祖たちと感情の共振が生じていた。それゆえ私はその正体についてある確信を得ることができた。それは論理的な確証を不要とする超直感的了解に拠るものであった。

 青紫の球体は、未来トラベラーの時空通信装置であった。未来の通信とは声や映像、データをやりとりすることではない。私が経験したように「その場に出現」するのである。さらに一瞬にして全情報を共有するのである。

 生存可能な世界や時代に着いたトラベラーにとって、その青紫の球体が彼等のIDであり仲間との唯一の連絡装置でもあったのだ。

 もうひとつ大事なことは、「青紫の球体」の形は宇宙の「ワームホール」の構造をそのまま表しているということである。未来の(宇宙)海図であるのだ。それゆえこの球体の内部構造さえ解読できれば、どの時代どの世界の存在でも時空移動が可能になるのである。

 

(ハーンの思い)

 ハーンがその球体を必死に探したのは、それが見つかれば、未来からのトラベラーがここにいたことがわかるからである。

 未来からのトラベラーとはいえ私たちと同様に寿命がある。数千年後にはおよそ150歳くらいの寿命であるようだが、やはり死は免れえず、漂着地で産んだ子孫にその後を托すことになる。ところが子孫の一部は自らのルーツを知ることなく、IDである青緑の球体を手放してしまった。

 ハーンはアウトロー種族の末裔を探し、互いに未来のすべての情報を共有し、理解し合い、新たな共存の未来世界を多世界宇宙に分岐させようと考えていたのだ。

 ハーンはもうハンターではなかった。不良息子を探す親のごとくであった。彼の著作を見れば、あるいは彼の生涯を知れば、そのことは誰にも明快である。彼は妖怪の世界、伝説の世界、幽霊の世界、それと共存するある時代の人類の心に、ハイパーチューニング(超共感)していたのである。

 

(歴史を織るDNA)

 さて、ハーンは未来からのトラベラーの孫である。19世紀のアイルランドに漂着した曾祖父こそ未来トラベラーそのものであった。

  自己のルーツから解き離たれた人間、いや生物などは存在しない。あらゆる生物のDNAには、太古から続くそれぞれの系譜が刻まれている。ギリシア、アイルランド、イギリス、フランス、アメリカ、カリブ、そして日本と、傍目には世界中を自由に移動したかに見えるハーンでさえも、母親のギリシア、父のアイルランド、この父母の系譜から自由ではなかった。そして父母由来のそれぞれのルーツは風土性が驚くほどかけ離れたものであった。そこに彼の振幅の大きい特異な才能が生じた理由があるように思える。

 人類の歴史というものは「過去と未来の交錯した織物」にとどまらず「過去のDNAと未来のDNAの融合」なのである。

 

(骨寺村再訪) 

 初めて骨寺村へ訪れてからちょうど3年後の秋、私はこの村を再訪した。資料館は以前と同じようにひっそりと存在していた。

 中に入ると、やはり客は私一人であった。資料室へ進むと3年前の初老の男性がまだ語り部をしていた。私のことはすっかり忘れているようだ。

 前回と同じように、未公開の資料を魅せてくれると言う。私はデジャブのような感覚を覚えながら、再び裏の資料庫へ入った。

 そこに案内された私は語り部の男性から再び地主の日記を見せてもらった。

<地主の日記より 要約>
 「この村には骨寺という古いお寺がある。以前より寺の付近で奇妙な出土品が見つかることがあり一部の考古学者が関心を持っていた。この日午後2時頃、一人の外国人が人力車に乗ってわが屋敷を訪ねてきた。

 彼は身の丈五尺ほどで顔は銅色、少し猫背で左目を失明しており灰色の背広に細き黒いネクタイを締めていた。とてもせっかちだったが、何か強い力が彼の身体から満ちあふれているように感じた。みやげに饅頭を持参してきた。

 差し出された名刺には『東京帝国大学文学部英文科 講師ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)』とありびっくりした。彼は手帳を手にしながら、たどたどしい日本語でいろいろなことを私に訊いた。

 最後にとても真剣な顔つきと手振りで、「青紫の球体」がこの周辺から見つからなかったかと訊いてきた。その大きさは鶏の卵ほどのようである。実は似たような出土品が幾つかあったことを思い出したので彼に話した。彼は大変興奮した様子で現物の保管場所を訊いたので、盛岡師範学校の資料保管室にあるようだと答えた。およそ1時間ぐらい後、彼は待たせておいた人力車で帰った」

 彼はその足で盛岡師範学校へと向かった。

 私の再訪は再訪ではなかった。別な世界の出来事であった・・・

 

(分岐した未来)

 ハーンがこの世界に生存していた時代以降、妖怪や物の怪の目撃談が極端に減少した。理性的な人々はもともと作り話であったと語り、やや懐疑的であった人々は、妖怪の住める環境が少なくなったせいだろうと語った。

 21世紀の現代、私も一度も妖怪やお化けなどと遭遇した覚えはない。しかし私はその本当の理由が何であるかを、今では知っている。

 それは私が骨寺村を再訪したとき、世界が分岐したからである。1900年のあの秋、ハーンは骨寺村で青紫の球体の行方を知り、それを手に入れた過去を得たからである。

 私が最初に訪問したときとは別な世界がここから分岐したのだ。その世界でハーンが架け橋となって、アウトロー種族の妖怪、現世の人間、ハンターとしての神仏や天才、もとをただせばルーツが同じ過去から未来の人類の子孫が和解し共存の未来を約束したのであった。

 疑わしいことは何もない。骨寺村の深い秋の夜、耳ではなくて全身を自然の声にさらしてみればよい。耳では聴くことができぬハイパーソニックの波動がその宇宙的真実を教えてくれることだろう。

 ワームホールという通路を光子流で行き来した私たちは、もう時間や空間を超越し、過去も未来も共存した多元宇宙に存在しているのである。

 今や、この多元宇宙の(別な)地球にいる(らしい)私たちは、誰もが「青紫の球体」を持って相互共感しているのである。

 2019年のあの日、何の変哲もない私があの青紫の球体に初めて触れたことから、人類の未来が大きく変わった。宇宙の奇跡といってもよい。それを知っているのも私ただ一人だ。もしかして、私もハーンと同じく未来にルーツがあったのではないか?と、ふと思う。

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※参考「骨寺村荘園遺跡」